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あなたは本質を見抜けていますか?

girl making hand gesture on her face

こんにちは!Fblogです!

 

今回は私が小さい頃からずっと感じていたことについてお話します。

 

なんでみんな本質を抜けていないのか。

 

わかりやすい例として、宿題がある。

 

宿題というモノは先生が生徒に自主的に勉強させるための装置である。

 

そして本来であれば、生徒一人ひとりのわからないところをを見える化し、課題を克服していくモノである。

 

しかしながら現代の学校では、宿題をやってきたか(ノートが埋まっているか空欄がないか)、きちんと提出してあるかという点にばかり焦点を当ててしまっている。

 

しかもそれで生徒を評価してしまうため、本来の宿題の機能が損なわれている。

 

本来ならば、生徒一人ひとりわからない箇所や強化したい箇所や量が違うのにもかかわらず、先生は一律で同じ宿題を与えてくる。

 

本当に無意味である。

 

私は中学生のころから宿題はしなかったが勉強はしていた。

 

そのため、テストでは常に上位にいたが学校の先生からは毎日呼び出され内申点では5をもらうことができなかった。

 

しかし、手前味噌ではあるが地元では一番偏差値の高い高校に進学したし、都内の某難関私立大学を卒業した。

 

さらに現在は一部上場企業の社員として働いている。

 

一方で、宿題はやっていたが勉強はしていなかった(本質を見抜けていなかった)生徒は、内申点こそ5をもらっていたが今の生活はお世辞にも羨ましいとは言えない状況がほとんどである。

 

こういった生徒の多くは、地元でも下の方の高校に進学し、高卒で働いているか、大学に行ったとしてももFラン大学で、卒業後はニートや地元の零細企業で働いている。

 

念のため断りを入れておくが、何も高卒を否定している訳でもなければ、零細企業を否定している訳でもない。

 

ただ今回は分かりやすい指標として、学歴と社会的ステータスを出しているだけであって、それぞれの長所や魅力があることは言うまでもない。

 

話を戻そう。

 

要するに、ここでの本質とは、「宿題の存在意義」である。

 

やらなければいけないからやる。

 

これは一見日本人の美徳に従った気着心地の良い言葉のようであるが、私にはただ思考停止しているだけにしか見えない。

 

親も先生も周りの大人もみんな言う。

 

やらなければいけないからやりなさい。

 

何でと聞いても、やらなければいけないからの一点張り。

 

そこにロジックくもクソも存在しないのだ。

 

だから、私はそこにロジックを求めた。合理性を求めた。

 

宿題は何のためにあるのか。

 

先生が生徒に自主的な勉強を促すための装置なのではないか。

 

ただ、一人ひとりの課題は違うのにみんな一律で宿題を出されてしまう。

 

ならば、自分にとって優先すべき内容でなかったら別の勉強をした方が効率的ではないか。

 

もし宿題の教材がわかりにくかったら他の教材で勉強した方が効率がいいのではないか。

 

という上記のような考えに至り、宿題は基本的にせず、自分の勉強に集中することにした。

 

ただ例外として、自分の勉強の進捗と宿題の内容がマッチしていた際には、いい教材ににあるため、その場合は他の誰よりもその宿題を使い倒した。

 

さて、ここまで読んでくれたあなたならば、私が考えていたことを理解してくれるのではないだろうか。

 

 

宿題とは何なのか。勉強とは何なのか。

 

今の自分が本当にすべきことは何なのか。

 

時間は有限である。

 

まわりと違う事をすると衝突は避けられないのかもしれない。

 

宿題をしなったら先生に怒られるかもしれない。

 

先生に歯向かうのはよくない。

 

色んな不安が出てくるだろう。しかし、本質を見抜けないまま生きていくことほど無駄なことはないし、実行に移せなければ本質を見抜けていないのと同じである。

 

もし、宿題をせず怒られるのが怖かったら、きちんと理論をもって筋を通したうえで宿題を放棄しろ。

 

この論理を理解してくれない先生ならばその先生を徹底的に自分の人生から排除し、最後は学歴を超えてしまえばいいだけのこと。

 

実は害悪な教師ほどたいして頭がよくないことがほとんどである。

 

もう一つ例として、リモートワークが挙げられる。

 

新型コロナウイルスの影響でリモートワークが日本国内で一気に普及したわけであるが、私はもとより最初から100%リモートワークでよいのではないかと考えていた。

 

冷静になって考えてみてほしい。

 

LINEやスカイプといったテレビ通話のできるサービスはもう何年も前から普及している。

 

今話題になっているZOOMも一年以上前からサービスを開始している。

 

インターネットが十分に普及した現代社会において、本当にわざわざ出勤して仕事をする必要があるのだろうか。

 

出勤には、お金・労力・時間がかかってしまう。

 

特に時間は大きな問題である。

 

例えば片道1時間の出勤時間だとすると、一日で2時間、一週間で10時間、一か月で40時間、一年間で480時間を出勤のためだけに使っているのである。

 

要するに、年間で丸々20日分出勤のためだけに時間がとられているのだ。

 

これは無駄以外の何物でもない。

 

これは労働者だけでなく、雇用者にとっても同じである。

 

では、ここでいう本質とは何か。

 

ここでいう本質とは、「いかに会社に貢献するか」である。

 

労働者という存在は、雇い主である企業の売り上げを伸ばすための存在である。

 

そのため、企業に大いに貢献することができれば出勤の必要など全くないのである。

 

実際にこのコロナの状況でリモートワークを余儀なくされているにも関わらず売り上げが変わらない企業はたくさんある。

 

確かに、オフィスでないとなかなか働く気が起きないという人がいたり、オフィスでしかできない仕事があるというのが現実的な問題であることは想像に難くない。

 

そのため、リモートワークでも出社してもよいという状況が最も現代において最適な働き方であると私は考えている。

 

言うなればノマドである。

 

また、働き方をより深堀するのであれば、勤務時間も自由にする必要があると考えている。

 

日本では8時間勤務が一般的であるが、中にはその日の仕事を数時間で終われせることのできる人材もいる。

 

その人が8時間勤務しなければいけないからと、定時まで出勤するのは本人にも企業にとっても損失であるのではないか。

 

たとえば、その優秀な社員が仕事が終わり次第早上がりをし、その分多くの休息をとることができたり、自己研鑽の時間に費やした場合、よりパフォーマンスが上がり、企業にも多くのリターンが見込める。

 

また、人間には朝型人間と夜型人間がいる。これは何も感覚の話ではなく、遺伝子レベルの問題で、きちんと研究結果も出ている。

 

※参考動画を掲載しておく


最も集中できる時間がわかる!4つの睡眠型診断をやってみる

 

そのため、夜にパフォーマンスが最大化する夜型人間を、無理に朝に働かせる必要はないのではないだろうか。

 

そのため、リモートワークで、場所を選ばずに働くことができ、勤務時間も

フレキシブルに対応できている企業こそ、これからのリーディングカンパニーになると私は考えている。

 

さて、ここまで記事を読んでくれたあなたにもう一度質問です。

 

本質を見抜けていますか?